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最高裁判所第一小法廷 昭和23年(れ)1813号 判決

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人両名辯護人小林直人上告趣意第一點について。

所論の第一回及び第二回公判調書の記載内容は、論旨に掲げているとおりである。論旨は、原判決擧示の證據は、證據書類であるから、舊刑訴第三四〇條に從って、朗讀又は要旨告知の方式によって證據調をすべきであり、同第三四一條に從って展示の方式によって證據調をすべきものではないと主張している。しかしながら、證據書類と雖も特殊の場合においては、展示の方式によって證據調がなされることがある(舊刑訴第三四〇條第二項第三項)。のみならず、證據書類の中には、これを被告人に示すことによって、却って端的にその内容を知悉せしめるに適する場合(例えば、證據書類中の被告人の署名の部分又は表の取調のごとき)においては、展示されることがあり且つこの展示の方式によっても證據調が完全に履踐されるものと解すべきである。本件では、檢證調書中の圖面のごときは展示に適するものと認められる。それ故に、原審公判調書の記載によって、證據書類の證據調が全體において適法に取行われたことは、窺知されるのであって、論旨は採用し難い。

同第五點について。

論旨は、被告人等の公判廷における供述と、公判廷外において官憲の録取した書類に表示されている供述とが、相違している場合において、その何れを採るかは、裁判所の自由心證に依るべきであるが、前者を排し後者を信じて採る場合には、その理由を示すべきだと主張するのである。同じ被告人の供述でも、犯行時に近いものが正確で、だんだん時の經つにつれて記憶が薄らぎ供述の正確性を失っていくという事例もあり、また犯行直後には素直に真実を語っているが、事件の進行する過程において、意識的に罪責を逃れ又は輕からしめようとする心理の動くがままに、時として様様に歪曲せられた虚僞の陳述が加わっていくという事例もあり、さらにまたこれらの反對の事例もその他多種多様の事例もがあるであろう。これら玉石の混じりあった供述の中から、その珠玉を拾い出し、その何れをより真実と認め、より多く措信するかは、実に裁判官に課せられた重い任務であって、裁判官の聰明と苦心とは常にこの點に傾注せられており又傾注せられなければならない。これが真の意味における自由心證主義の精髄であり中核をなすものであると考える。この自由は、飽くまで真実を発見するためどこからも制御を受けない意味における自由であり、かりそめにも専恣や我侭や安易や怠慢を許す自由であってはならぬことは、言うまでもないところである。されば、自由心證の形成には、聰明な裁判官の彫琢の努力による具體的の事情に即した極めて高度の評價作用を必要とする。かかる自由心證形成の過程における心理的作用は、まことに複雑多岐であり、極めて繊細微妙な問題である。そこで、論旨のいうように所論の場合に自由心證の形成されるに至った理由を判決に示すべしとすることは、甚だ難きを裁判官に強うる嫌があるばかりでなく、却って真の自由心證の形成のためにむしろ害があると言わなければならぬ。採證について裁判官に一任することができない問題については、法定證據の制度を設けるがよい。しかし、すでに法定證據主義をとらずして裁判官の自由心證にまかされた問題については、特別の明文がない限りすべからく裁判官の聰明と苦心とに信頼し、徹底的にその自由裁量にまかすことの方が、より忠実に練磨と洗練を加えしめることとなり、自由心證主義の長所と美點を十全に発揮せしめるゆえんである。又法律のいずこにおいても、所論のような理由開示を要請していると認められる箇所はないのである。さて、原審公判廷における被告人等の供述をみると、被告人等がすべて判示事実の細部に亘って詳細に自白している譯ではないから、原審はむしろ被告人等の檢事又は司法警察官代理に對する自白を證據として採ったことが窺知される。だから、原判決が、所論の自由心證形成について理由を示さなかったことは、別段違法ではなく、論旨は採用することができない。(その他の判決理由は省略する。)

よって舊刑訴第四四六條に從い主文のとおり判決する。

この判決は裁判官全員の一致した意見である。

(裁判長裁判官 真野 毅 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 齋藤悠輔)

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